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たっちゃん。


8月の始めに、マユりんの母の兄が亡くなった。

おじちゃんとは、6歳まで二世帯で下町の、同じ屋根の下に暮らしていて、
一緒にお風呂に入ったり、お祭りに行ったり、保育園に送ってもらったり、
私が小学生になるとき、私の家族がその家を出て隣町へ引っ越してからも、
夜ゴハンを食べに行ったり泊まったり、
まさに幼少期のいい想い出がいっぱいある。

でも、中学に入るに当たりもっと遠くへ引っ越した我が家。
それからは年がら年中会うという機会は格段に減ってしまい、
何度会ったかな〜〜と、ちゃんと思い出せば数えるほどかも。。

父から、おじちゃんが亡くなったという連絡をもらってから
おじちゃんがおうちにいる間に、と急いで亡骸に会いに行ってきた。

身体の大きなおじちゃんが、棺おけに小さく眠っていて、
肌はドライアイス効果で汗をかいているためにお肌がテカテカに見えて、
でも、「今にも起きてきそう」という感じではなく、その姿は確実に亡くなっていて、
私は淋しくなって、なんと声をかけたら良いのか、最初はまったくわからない状態。

ただただ「おじちゃん・・おじちゃん・・」と呼びかけていた。
そのうちちょっとだけ心が落ち着いてきたので、
棺おけのお顔が見える窓を何度もなでて思いつくことを色々話しかけたり。。

その翌日はお通夜、そのまた翌日が告別式。
酷暑の時期で私たち親族も参列者の人たちも大変だったけれど、
マユりんは6歳まで育った街に、久しぶりに3日間通った。

その街の、小さい時やおじいちゃんが亡くなったときに
何度か行ったことのあるお寺で、
懐かしい人にたくさんあって、懐かしい話しをいっぱい聞けたりして
涙したり、大笑いしたり。


懐かしい話しとは主に、「まゆちゃんがどんなにおてんばだったか」
なのだけど、自分がまったく覚えていない話しがたっぷり・・・。

さて。
おじちゃんには3人の息子がいます。今日はその息子のひとり
「たっちゃん」の話を書きたいので、よければ読んで下さい。

たっちゃんは、オトコ兄弟の真ん中だからなのか
とにかくとっても手がつけられないほどのやんちゃで、
いわゆるジャイアンみたいな性格の男の子で、
身体は細いのだけど、元気いっぱいでいじめっ子で
乱暴で、怪我ばっかりしていて、誰も寄せ付けない子供。

これがたっちゃんにまつわる、周りの人の評価。

でも、私にとっては真逆なのです。

そんなたっちゃん、ぜんぜん知らない。

私の知っているたっちゃんは、少しだけ年上でとにかく優しくて、
いつでも抱っこしてくれて、いつでも遊んでくれて、私が転んで泣けば
おんぶして家まで走ってくれて、母や父が仕事で帰りが夜遅くなる時は、
一緒にお風呂に入って、一緒にゴハンを食べて、二階の私の部屋まで送ってくれて
とにかく、優しくて優しくて、優しい以外のイメージがまったくないよ。

そして、その優しさを語るひとつのストーリーがあります。

これは、私もはっきりと覚えている。それだけその日は特別な日だった。
私は3歳半で、生まれたばかりの弟がお母さんと一緒に家に来るという日だった。

母のおなかが大きな時は、「お母さんのおなかの中には桃太郎がいるんだよ」と
教えられていたので「桃太郎〜早く出て来〜い」と毎日話しかけていたし、
生まれる前の入院中のお母さんにも会いに行ったりして、とても楽しみな日だった。

しばらくいなかったお母さんが弟をつれて帰ってくる。

3歳の小娘にとって、これほど重要な日はないと思う。
あきらかに「お客さん」が来るのとはちがうことはわかっていた。

私はその日生まれて初めて「弟、桃太郎」にご対面するのだ。

その重要な日、父は母を病院に迎えに行っていたので、
私はたっちゃんと一緒に留守番をしながら待っていた。

家の前の道路や、家の中のロフト(そんなものがあったんだよね〜)で
かくれんぼをしたり、たっちゃんから「真由子、弟楽しみ?」と聞かれたり
おにぎりを食べたり、お昼寝をしたりしながら、今か今かと待っていて、
ついに家の前に母と桃太郎を乗せたタクシーが止まり、みんなが降りてきた時。

私の緊張はいきなりピークだった。

母が「まゆちゃん、桃太郎が来たよ」
父が「抱っこしてあげるから見てごらん?」
と言ったのは覚えている。

でも私は桃太郎に、すぐに会えなかった。
とってもとっても恥ずかしい、どんな顔をして会えばいいの?
なんて呼べばいいの?わたしは今日からお姉ちゃんなんだよね?
お姉ちゃんて何をすればいいの?どうすればいいの?

という気持ちでいっぱいになり、たっちゃんの手をぎゅーーっと握って
たっちゃんの後ろに隠れながら、ただただもじもじしていた。

父とは母とにかく桃太郎を部屋にいれるために、2階へあがる階段を登って行き、
取り残された私とたっちゃんは、手をつないだまま階段の下で見上げていた。

しばらくそうしていたのだけど、たっちゃんが「真由子もおうちに帰りなよ」というので
私は「いやだ」といった。たっちゃんが「なんで?行きなよ」と言ったけれど
私はそれ以外の表現方法を知らなかったので、ひたすら「イヤイヤ」をしながら
階段の一番下の段に座って、でも顔はニヤニヤしていた。

本当にはっきりと覚えている。その一部始終を忘れたことがない。

するとたっちゃんは、「じゃあさあ〜、一緒に一個ずつ階段を登ろうか」

私はその言葉に反応し、1個階段を登っては座る、というのを、
わざと異常に時間をかけてやった。
その都度たっちゃんも、「一個〜はい座ろう〜」と付き合ってくれていた。

私には私がワガママだとか、困らせているとかそういう自覚はまったくなかった。

時々階段の上から父や母が顔を出し「おいでよ〜」と呼んでくれるのだけど、
私は振り向くこともせず、ただすっとんきょうな顔で階段に座っていた。

登っては座る。一段一段。できるだけゆーーーっくりね。

これを繰り返し、最後の一段を登りきった。登りきってしまった。
もう後がない。家に入るしかない、でも入れない。
だってわたし、どういう顔をして会えばいいか本当にわからないんだもん。

そうしてそこから、長〜い座り込みが始まった。

私の身体の横には、母や父や桃太郎がいる部屋のドアがあり、
そのドアが私の身体の隣にあることも気にいらない。こっぱずかしい。

たっちゃんに、たっちゃんがこっち側に座ってと半ば命令口調で言って
たっちゃんがかわってくれて、ニコニコしながら私を見たり、
部屋の中から呼んでいる母や父に「もうちょっとまってー」と言ったりして、
私の横にずっと座ってくれていて、「もう行ける?」「まだ」という会話を
何回も何回もした。

でもたっちゃんは一度も「もう行くよ!」とは言わなかったし、
「オレは降りる」とも言わなかったし、
ただ、ただ本当にニコニコと、私の隣に座って、
私がその気になるのを待ってくれていたのだ。

私は正直、どうしてたっちゃんも母も父も怒らないのか不思議でしょうがなかった。
でも、私もどうしても簡単に桃太郎に会うわけには行かない気がして、
どうしたらいいか、ずっと考えていた。

私は今日からお姉ちゃん。

その意識が、本当に自分を困らせていたし、嬉しくてたまらなくもあったし、
だけどどうしたらいいかわからない。

大人になってから、あの日私はどれくらい階段に座っていたの?と母に聞いたら
2時間くらいかな〜って言ってた。よくもまあそんな長い間。。。

どういうきっかけでお部屋に入ったの?と聞いたら、覚えていないそう。
そこは覚えていてほしかった。。。

やんちゃで乱暴でいじめっ子と周りが言うたっちゃんだけれど、
文句ひとつ言わずに頑固な私にそんな長い時間優しく見守りながら
付き合ってくれたことを、今でも忘れられない私なのでした。

そしてその一年後、たっちゃんにも弟が生まれ、たっちゃんもお兄ちゃんになり、
その後は従兄弟5人兄弟みたいに本当にいろんなことをして遊びました。

従兄弟の中で女の子は私一人なので、みんなに大切にされた記憶があります。
そしてやっぱりたっちゃんが一番優しくて、いつもそばにいてくれました。

ケンカもたくさんしたみたいなんだけど、たっちゃんとケンカをした記憶は
私にはゼロです。いい想い出ばっかり。

おじちゃんのお葬式で、たっちゃんは人目をはばからず
「オヤジぃ〜」といって、よく泣いていました。

お骨になってしまったおじちゃんを見て、「オヤジ、ごくろうさん!」と
言っていました。

その言葉に、私は初めて知ったのです。
たっちゃんってほんとうは甘えん坊さんだったんだね。

おじちゃん、どうかやすらかに。今までありがとう。また会おうね。
たっちゃん、私たちこんなに大人になってしまったけれど、また遊んでね。

PS:風ちゃんのほうは今日はお休みです。

それと、弟はおなかから出てきて「桃太郎」を卒業し
「マコト」という名前をつけてもらえました。ふふ。

ちなみに、母のおなかの中にいる間の私のあだ名は「プーさん」だそうです。
クマの、ではなく、母が妊娠中によくそういう音を出していたそうです。

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